本サイトは、塩屋俊監督の人生と作品を辿り、十三回忌を共に偲ぶ追善記念公式特設サイトです。塩屋俊監督と親交のあった方々をピクチャーモザイクでご紹介しています。写真を拡大してご覧ください。
俳優・映画監督
1956年8月5日生
大分県大野郡野津町(現・臼杵市)出身
2013年6月5日没
慶應義塾大学文学部教育学科卒業。
大学在学中「モデル・プロダクション」(東京学生英語劇連盟)に参加。奈良橋陽子に師事し、大学在籍中に芸能界へ進出。
俳優としてはNHK連続テレビ小説『おしん』、Russell Crowe共演の豪州映画『BLOOD OATH/アンボンで何が裁かれたか』(オーストラリア映画協会助演男優賞ノミネート)、ユニバーサル映画『Mr.Baseball』など、国内外を問わず、テレビ、映画作品等への出演を重ねる。
1994年、オーストラリアの映画プロデューサー、ジャン・チャップマン氏等の助言のもと、日本におけるプロの俳優のための演技レッスンを目指し「塩屋俊アクターズクリニック」を設立(現「アクターズクリニック」)。自身の俳優業と並行し主宰として後進の育成に力を注いだ。アクターズクリニックでは相武紗季、桐谷健太、向井理、夏菜、鈴木亮平、趣里等多くの俳優を指導していた。
1997年に映画『バウンスkoGALS』 を企画、以降作品製作にも力を入れる。主な作品に、映画『ビートキッズ』『0(ゼロ)からの風』『ふたたび~swing me again~』『種まく旅人~みのりの茶~』、東日本大震災をテーマにした舞台『HIKOBAE』などがある。また音楽劇『彩虹橋in上海万博』のプロデュースなどその活動の幅は映像に限らず多岐に渡る。
2013年6月5日、公演先の宮城県仙台市の東北電力ホールの楽屋で倒れ、病院へ救急搬送されたものの同日午後2時56分、急性大動脈解離のために死去。56歳没。
死後、同年8月2日に交流のあった小堺一機等が発起人になり「塩屋俊を偲ぶ会」が開かれ、多くの関係者が集まった。2014年3月には彼の功績をたたえ、臼杵市市民栄誉賞が贈られた。
その後、彼の思いは教え子や後進に引き継がれている。
本サイトのフォトモザイクに掲載している写真は、監督を敬愛し十三回忌追善企画に賛同してくださった皆さまよりご提供いただいたものです。 撮影現場や舞台挨拶、私的なひととき——それぞれの思い出が刻まれた貴重な一枚一枚を、許諾を得たうえで掲載しています。
塩屋俊監督13回忌実行委員会
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